源光庵の「悟りの窓」に学ぶ、窓の哲学
🪟 窓は、ただの開口部ではない

――源光庵の「悟りの窓」に学ぶ、窓の哲学
現代の住宅設計では、断熱や省エネのために窓を減らす傾向が強まっています。
確かに、UA値を下げるためには窓は「熱の逃げ道」となり、性能の観点では“弱点”とされがちです。
けれど本当に、窓は「性能上の穴」にすぎないのでしょうか?
・ 京都・源光庵にある「悟りの窓」
京都・鷹峯にある禅寺「源光庵」には、二つの象徴的な窓があります。
ひとつは四角い「迷いの窓」。もうひとつは丸い「悟りの窓」。
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**迷いの窓(四角形)**は、四苦八苦の人間の世界を象徴し、日々の現実を映します。
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一方、**悟りの窓(円形)**は、調和・円満・宇宙の真理をあらわし、無我や悟りの境地を表します。
この二つの窓を通して、仏教の教えはもちろん、**「人は何を見て、何を感じ、どう生きるのか」**という深い問いを投げかけてきます。
窓とは、世界を切り取る枠であり、心を映す鏡でもある。
・ 窓は、内と外の“あわい”にある
建築における窓とは、単に「光を入れる」「風を通す」といった機能的なものではありません。
窓は、内と外をつなぐ“あわい”(間)に存在する存在。
それは外界を見せる“額縁”でもあり、風や香り、音といった目に見えない自然との対話口でもあります。
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窓から見える木々のゆらぎに、心が落ち着く
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季節の光の傾きから、時の流れを感じる
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子どもの姿を見守るその枠から、日々の営みが育まれていく
窓とは、世界と私たちの“距離”を調整し、関係性をつくる場所でもあるのです。
・「性能のために窓を減らす」は、本末転倒かもしれない
現代の住宅では、省エネ基準の達成や断熱性能の向上が求められる一方で、
“窓を減らすこと”が目的化してしまうことがあります。
たしかに、熱の出入りという視点では、窓は壁よりも不利です。
でも、光・風・視線・時間・自然とのつながりは、窓でしか得られない体験です。
それらをすべて捨ててしまって得た「性能」は、果たして**“人にとっての快適”**なのでしょうか?
・ビオハウジングの考える「窓」
私たちは、窓を暮らしの中の“哲学”の入り口ととらえています。
窓を通して何を感じるか。どの方向に開くか。どの時間に光が差し、風が抜けるか。
それは、住まい手の感性とともに生きる設計であり、
性能だけでは測れない“心の快適性”を生む鍵でもあります。
源光庵の「悟りの窓」のように、
一枚の窓が、人に静かな問いを投げかけることができると、私たちは信じています。
・まとめ
窓は、単なる開口部ではありません。
世界と自分、自然と暮らし、光と影、時間と空間――
そのすべてをつなぐ、**“哲学のある場所”**です。
源光庵の丸窓が、静かに語りかけてくるように。
わたしたちの住まいにも、**ただの性能では測れない“窓の力”**が、
きっと必要なのではないでしょうか。